シティバイキング連載その1

City Biking その1

二玄社 「NAVI」連載記事 1994年〜1995年

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更新日 2014-11-15 | 作成日 2007-09-15

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City Biking 

二玄社発行の自動車雑誌「NAVI」でわたしが連載していた「シティ・バイキング」をテーマとした記事を転載してみました。 大分前の記事でもあり、文章の稚拙さも色々と目に付きますが、主張している内容そのものは現在もほぼ同様なので、ほぼそのまま転載してあります。

※この記事はNAVI編集部、各写真撮影担当の写真家の承諾を得て転載しています。 文章・写真の無断転用・転載はご遠慮下さい。

二玄社「NAVI」連載第1回 1994年6月号P198

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我らはシティ・バイカーなり 

[編集部陶山(すやま)さんとの対談]

自転車は人間性を回復させる

陶山 坂野さんの提唱する「シティ・バイキング」は、都市の乗り物としての自転車に再び注目しよう、ということですか。

坂野 そうです。なぜ自転車に注目すべきかというと、いまの社会は、情報収集にしろ異動にしろ、人間が本来、自分の肉体で行ってきた行為をどんどん“外部化”しているでしょ。自転車に乗っていると、あまりの気持ちよさに、自分は本来なら自分ですべきことを、いままで他人や機会に委ねていたんだなあ、と気がつくからなんです。

陶山 自転車って「エンジンまでもが自分の肉体」だから楽しいんですよね。車、オートバイ、自分の順で外部化の要素が減って、自転車は自分の肉体にもっとも近い乗り物だから気持ちイイ。

坂野 自転車で走ると、まわりの景色と自分が、直接つながって移動している感じがあるでしょ。自転 車で飛ばすときは、周囲の環境にものすごく神経を集中させないと危ないから、感覚のテンションが上がって、しかも一方向ではなくて全方向に開かれてゆくからでしょうね。

陶山 だから通いなれた道でも意外な発見があるし、ちょっとした風の匂いで、春が来たこと気がついたりする。自転車こそ、人間の感性をある意味ではドラッグ的に拡張する装置なのかもしれませんね。

自転車はアナーキーだ!

坂野 僕が提案したいシティ・バイキングは、都市内をハイスピードで移動するということなんです。今のスポーティーな自転車なら、普通の人でも簡単に20km/hで巡行できる。ちょっと練習すれば30km/hで何時間でも走れるようになります。だから信号にひっかからなければ、20kmの距離を1時間で移動できてしまう。これはスゴイことですよ。都心から郊外まで行けちゃう。

陶山 つまり都市内では、車やオートバイに匹敵する性能を持っていると。

坂野 いや、都市間でも可能でしょう。高速道路を走ればね。中央道を使えば、千代田区−八王子間なんて1時間かかんないと思う。こんどやってやろうかな(笑)。

陶山 ぜひ、トライして下さい(笑)。それにしても実際に東京の道を走って思ったのは、自転車の居場所がなくて、ムチャクチャ危険だということ。車道は車と駐車車両で危険だし、歩道を走るには速度差がありすぎる。それに道路標識とか、危険な金属性の突起物がそこら中にある。

坂野 大いに誤解されてるけど、道交法によれば、自転車は基本的に車道を走らなくてはならないんですよ。

陶山 ほんとですか?

坂野 ホント。警官も知らないんだから(笑)。歩道は許可された場所だけ、徐行してなら通過していいということになってます。でも徐行なんかするのなら、歩いたほうがいいわけで。で、結果として車道を、かなりテンションを上げて飛ばすしかないわけです。そうしないと危ない。こちらが気合が入っていれば、車のドライバーも受け入れてくれるから。でも問題は日本の道路行政が自動車偏重だということですよ。

陶山 ところがその偏重されている自転車やオートバイだって満足に走れない。日本という国の権力は、個人の移動の自由を抑圧することによって、大衆を管理するという思想かと疑いたくなる。

坂野 ところが自転車は、そういう路上の間隙を縫って、ゲリラ戦のように移動の自由を確保する事が出来る。自転車は抑圧的な交通社会の外部にいる、アナーキーな乗り物なんですよ!

陶山 シティ・バイキングは交通抑圧社会に対するアナーキーな革命運動であると。

坂野 そのとおり! いま、自分自身のアイデンティティが分らなくなって悩んでいる人が多いけど、それは自分自身の力でやるべきことを他人に委ねているから、自分が誰だか分からなくなってるんですよ。

陶山 しかも金を払ってるのに、満足なサービスも受けられない状況に不感症になっている人も多い。渋滞で動かない首都高に600円も払うとか、満員電車に乗るとか。

坂野 自転車に乗るといい。

陶山 そうすれば自分は移動する自由をもった個人だということが自覚できますよ。

(まとめ、陶山さん)写真=阿部ちひろさん
二玄社「NAVI」連載第2回 1994年8月号P21

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坂野さんのシティ・バイカー生活

コミューターとしての可能性を探求する長期レポート。今回はシティ・バイキングなるコンセプトを提唱し、それを実践してはや十余年の坂野泰士さんに、自らの自転車生活を語ってもらいました。

 みなさん、こんにちは。私は東京に住む35歳のシティ・バイカーです。東京の下町に住み、フリーランスで事業や商品のプランをつくる仕事をしています。わたしは自転車が好きで(自動車やオートバイも大好きですが)、日曜日にはいつも埋立地で仲間とロードレーサーに乗ったりしています。平日でも、会社勤めをしていた頃は、週に1、2回は片道20km程の通勤に自転車を使っていました。家で仕事をするようになった最近では、取引先との打合わせなどにも自転車で出かけたりしています。

というわけで、週に何回かは数十kmという単位で自転車に乗り、自転車を趣味+日常的な足といった感じで利用しています。そんな、“普通より少し余計に自転車を取り入れた生活”を送っているわけです。

 さて、この頁のコンセプトにしている“シティ・バイキング”という言葉は、(おおそらく)わたしが勝手に作り上げた和製英語なので、今回はいちおう定義だけでも示しておきたいと思います。まずは語義どおりに“移動手段として、街で自転車に乗ること”という意味が中心になるのですが、ここでは、さらにいくつかのニュアンスを加味したいと思います。つまり“移動手段としての自転車の能力をできるだけ発揮させること−すなわち速く走ること”、それを実現するための手段として“主に車道を走ること”そして“仕事や着るものも含めて、自転車の日常の社会生活へと取り込んだ生活のしかたを実践する”といったものです(私は最近、場合のよっては自転車用のウェアを着たまま、クライアントと打合せをしたりもします)。平たく言えば、“生活の足として自転車に乗り、街の車道を疾走する”といった感じでしょうか。

 現代日本の車道における自転車は、中国のそれとは違って圧倒的な少数派です。日本のような管理された社会にあって、少数派であろうとすると、特別な体験をいろいろすることになります。それは自転車ならではの拡張された感覚によって得られる、季節や環境との一体感を密かに楽しむことだったり、自転車の存在を全く考えていない道路作りや交通規制や、そのために生じる警官との衝突といった、日本ならでは少数派への無関心が生む居心地の悪さだったり、様々な自動車からうける故意のいやがらせなどの、あからさまな悪意だったり、誰も守ってくれないかわりの誰にも管理されていないことを知った時の解放感だったりします。

 ともかく、街で(速い)自転車に乗っていると、いろいろな事件に遭遇し、いろいろな考えが浮かんで、ムラムラとしていくるのです(ヘンな意味ではなく)。クルマや電車で見慣れた景色は、そこを自転車で通れば一変し、なにやら新しい感覚が体内に沸き起こり、忘れていた感覚が覚醒します。そうして、自分と社会との関係が際立ち、ムキ出しになって見えてきます。そんな自転車のちょっとヘンな楽しみ方と、それを楽しむ側から見た、社会に起きる有象無象の事件について、これからお話していきといと思います。どうぞよろしく。

写真=阿部ちひろさん
二玄社「NAVI」連載第3回 1994年10月号P198 IMG-N3.JPG

自転車は速いゾ!

連日の記録的な猛暑にもめげず、都市におけるコミューターとしての自転車の可能性を探る長期レポート。今回はシティ・バイカー暦十余年の坂野泰士さんによる「都内において、いかに自転車が速い乗り物であるか」についての報告です。

 シティ・バイカーの皆さん、熱い中いかがお過ごしですか? 今回はシティ・バイキングにおける自転車の驚くべき性能について話しておきたいと思います。

 わたしの住んでいる所は皇居まで約8kmの距離にある下町です。現在の仕事上のおもな取引先は皇居周辺、もう少し西側の中野周辺、そして近場の葛飾区にもあります。NAVI編集部のある神保町周辺や渋谷にもよく行きます。それぞれの地区はわが家からだいたい走行距離で8kmから15kmの距離にあります。また、会社員をしていたころは、東京を北東−南西方面に縦断する片道21kmの距離を通勤で走っていました。

 いずれの場合にせよ、わたしにとって自転車は、もっとも所要時間が短くくてすむ交通手段なのです。その所要時間も、自転車ならばほぼ確実に読めます。平地での最高速度がたかだか40km/h程度の自転車であっても、都市のおいては最も効率のいいコミューターなのです。

 なぜか。都心の渋滞のなかでは、クルマでも15kmの距離を走るのに1時間かかったりしますよね。ところが自転車なら、道路条件にもよりますが、おおむね平均時速20km〜25km/hで、走れるのです。たとえば江東区にあるわたしの家から皇居まで自転車で行って25分、渋谷まで行っても45分です。ところが地下鉄と徒歩で皇居まで行くと約45分かかり、渋谷までなら55分かかってしまう。クルマで行けば、渋滞の激しい平日の朝など、移動に要する時間帯は地下鉄のさらに2、3割増しになってしまいます。地図にもあるように、今のわたしの日常生活で要求される移動のほとんどは、自転車であれば30分から45分程度の走行で到達できるし、さらに趣味的なメリット(爽快さを感じたり、フィットネス・レベルを保てる)まである。だからこそ自転車を愛用してしまうのです。

 自転車で走っていると、平日の東京都心における自動車は、もはや移動手段としての能力を失った不思議な存在のように思えてきます。わたしが走り抜けるすぐ横で、道路を埋め尽くし、エンジンからの強烈な排熱とむせかえるような排気ガスを出している様子は“ビィークル”というより、“エゴイストの小部屋”の行列といったおもむきで、はたから見ていると「何か違うよな〜」という感じは、私が立場を変えて自動車(シトロエンAX)を運転していてもやはり感じるので、ますます平日に自動車を乗る機会が減ってしまいます。

 では、わたしが皆さんにシティ・バイキングを積極的におすすめするかといえば、じつはそうでもないのです。というのも、シティ・バイキングは事故の心配以外にも、現状ではあまりにリスクの多い行為だからです。そのリスキーな生活の実態については次回以降にお話ししたいと思います。恐ろしいと思うのは、20世紀を通じて拡大されてきたはずの「個人が自分の意思で移動する自由」が最近、とくに都市という人口密集地で脅かされつつある、ということなのです。

二玄社「NAVI」連載第4回 1994年12月号P210

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シティ・バイカーの正しい服装


シティ・バイキングに最適の秋がやってきた。けれどビジネスマンズ・エクスプレスとしてのシティ・バイキングの敵はやっぱり汗。今回はその対処法について、自転車に乗るコンセプター、坂野泰士さんが語る。

まわりを不快にさせない工夫がたいせつ

 自転車である程度気合いを入れて走れば、当然、季節を問わず汗をかきます。しかし、私の場合は主な目的地は仕事上の取り引き先であり、行った先では会議や打ち合わせに出席することが求められます。夏でしたら、ある程度汗をかいているのは仕方ないにしても、まわりを不快にするようなことはしたくありません。そこで、いくつかの工夫をしています。

 まず、下着、ポリエステル素材のメッシュのTシャツを着ます。これは通気性が良く、さらに汗をすばやく吸い出し皮膚の温度を下げてくれ、極めて効果的です。これを着用せずに走ると、汗で上に着たシャツはグショグショになってしまいます。次にパンツは、おしりにパッドの付いたレーサーパンツを履きます。こちらは速く快適に走るためには欠かせません。ただ、これだけで歩いていると皆さんの下半身への視線が痛いので、その上にペダリングを邪魔しない、コットンとライクラの混紡素材でできた、ストレッチする膝丈までのゆったりしたパンツを履きます。ちょっとスケーターっぽい感じですが、これでかなりタウンウェアらしくなります。

 あとは自転車用の指切りグローブ、透明レンズのアイシールド、ヘルメットを着けます(これはどれも安全上不可欠なものです)。  

ミネラル・ウォーターは必需品

 靴はMTB用のペダルが固定できる金具が靴底についた、一見普通のスニーカー風のハイカットのものを履きます。あと、忘れてはいけないものにミネラル・ウォーターを入れたボトルがあります。大量の発汗を補うために水分補給は不可欠です。夏は500cc強を大体30分の走行の間に飲み干してしまいます。

 自転車を駐め、盗まれないようにロックすると、次は身支度です。あまり人目につなかない場所を選び(といっても所詮は街頭ですが)ヘルメットを外し、タオル(必需品です)で汗をふき、クシで髪形を整えます。汗臭いかな、と思う時はシーブリーズのおりぼりのようなもので首筋と顔を拭くこともあります。それが終わると、カバンの中から長袖のコットンのシャツジャケットを取り出し、さっきまでのカッコの上に羽織ります。ボタンを一番上までキッチリと止めてでき上がりです。

 これでテーブルについているときは、とりあえず自転車を感じさせない服装になり、クーラーで体が冷えるのも防ぐことができます。工夫のポイントは、自転車用の機能を基本としながらも、汗をできるだけ目につなないようにすることと、肌の露出を減らすことと言えそうです。では、また次回。

写真=阿部ちひろさん
二玄社「NAVI」連載第5回 1995年3月号P191

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自転車に愛の心を!


車道を行ったきび団子売り

 今回はシティ・バイキングをする上での重要なポイント、“自転車で車道を走る”ということについて、述べてみたいと思います。

 自転車とは法規制上では、軽車両に分類される乗り物です。軽車両の仲間には、人間が引くリアカーや屋台、馬や牛車などがあります。そして、道路交通法によると、軽車両を含む全ての車両は車道を通行することになっています。しかし、現在の街中で自転車以外の軽車両が車道を走る姿を見掛けることはさほど多くありません。

 私が子供のころは、都心でも騎馬警官(馬に乗った警官)が交差点で交通整理をしていたり、自転車でリアカーを引くおじさんの姿があったりと、今よりたくさんの軽車両を見掛けたものです。

 そんな軽車両のひとつに、以前、我が家の近所に時々やってきたきび団子売りのお爺さんの屋台がありました。木でできた屋台には、せいろ状になった引き出しがたくさんついていて、“きびだんご”と墨で書かれた行灯(あんどん)が目印です。お団子を買いに行くと、お爺さんは湯気のあがる引き出しをあけて、竹串にささったお団子を紙袋に入れてくれます。茶色っぽく、小さく、少しぼそぼそした舌触りと品のいい甘さのそのお団子は、桃太郎が食べたのもきっとこんな味わいだったのでは、と思わせるほど昔ながらの風情を感じさせるものでした。

 そのお爺さんと屋台を最後に見たのは、7年ほど前の夜、隅田川にかかる永代橋のたもとでした。橋の手前の登り坂になったところを、お爺さんが行灯のともった屋台を引いていたのです。極めてゆっくりと、おそらく5km/hにも満たない速度だったよういに思います。屋台が車線の減少する橋の手前にさしかかると、後ろに連なる自動車は時にはクラクションを鳴らしたりして、お爺さんの屋台にいらだちを表していました。進路を妨害され、イライラしたのでしょう。でも、お爺さんは何も聞こえないかのように、ただ、黙々と屋台を引いて行きました。

シティ・バイキングを確立させるには?

 その時、自動車のドライバーの多くは、お爺さんの屋台を自分の進路を妨害する単なる“邪魔もの”と感じていたようです。しかしよく考えてみると、法規上は、屋台にも自動車と同様に車道を利用する権利があるのです。屋台やリアカーから自転車まで、どんな軽車両にも、自動車のために車道上から排除される理由はありません。確かに現在、自動車は圧倒的な多数派であり強者です。だからといって“車道上での平等”という原則を忘れてもいいということにはならないのではないでしょうか。

 私はつね日頃、自転車で車道を走っていて、このきび団子売りのお爺さんと同じ立場に立たされることがあります。シティ・バイキングにおいては、自転車本来のヴィークルとしての能力を活かし、より長い距離の移動手段とするためにも、法的に歩行者のためのものと規定されている道=歩道に依存することはできません。専用道や専用レーンが整備されていない現状においては、他の軽車両と同様に車道を利用する以外に道はないのです。

 シティ・バイキングでのリスクの多くも、屋台同様、自動車との関係において生じます。自転車の存在に無意識な運転、意図的な排除、それらは自動車のドライバーが車道上での自転車の存在を認めていない意識に起因しているのではないでしょうか。

 今後、みなさんが自動車の運転中に路上で軽車両と遭遇したら、先を急ぐ気持ちを少し飲み込んで、自動車と同様に他の車両として存在を認める、路上での“友愛精神”を思い出してみてはいかがでしょうか。

写真=関根健司さん

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