HISTORY 過去の活動

シンプル研究所(ばんのやすし)はメインのコンサルティング業務外にもその時々で色々な事業に取り組んで来ました。

その時々に自分が必要と思ったモノ・コトについて企画・発信してきました。

本格インド料理キットの販売

1990年代はじめから、当時の行きつけのインド料理店とタイアップして、本格的なインド料理の自作キットを販売していました。ダール(豆)、チキン、キーマ(鶏ひき肉)、等の専用のスパイスミックスを受注生産で通信販売をしていました。

フィンランドバーチ合板 家具のデザインと販売

ホルムアルデヒドフリーで独特の風合いを持つフィンランドバーチの合板と出会い、家具や照明器具をデザインしました。独自なデザインな照明スタンドはモノ・マガジンの表紙を飾りました。

リカンベント自転車の販売と啓蒙活動

リカンベント自転車は日本でも2番めにネット販売を始めたこともあり、テレビ(テレビ朝日トゥナイト)、FMラジオ(FM東京)、新聞(毎日新聞)等多数の取材を受け、アメリカのBikeE、オランダのChallenge合わせて100台近くをオーナーさんにお届けすることができました。

大人向きのロードバイクの販売とライディングの指導

19歳で最初のロードバイクを買って以来、40年以上のキャリアとなったロードバイクもモデルを絞って販売してきました。

チタンフレームのバイク、グラファイトデザインのカーボンバイクに注力してきました。また、独自のメソッドによる大人向けのライディングスクールも行っていました

自転車アクティビストとしての活動

自転車と都市交通をテーマとした雑誌連載

今はなき二玄社の社会派の自動車雑誌「NAVI」で自転車と都市交通をテーマとした記事を連載していました。自動車ドライバーが自転車に対してあまりに意識が低いことに危機感をもって当時の編集長の鈴木正文さん(前GQ Japan編集長)に手紙を書いて連載を提案して始まった企画でした。

以下に記事を転載しておきます。

※編集、カメラ担当の方には許諾を得て転載してあります。

二玄社「NAVI」連載第1回 1994年6月号P198
我らはシティ・バイカーなり 

[編集部陶山(すやま)さんとの対談]

写真=阿部ちひろさん
自転車は人間性を回復させる

陶山 坂野さんの提唱する「シティ・バイキング」は、都市の乗り物としての自転車に再び注目しよう、ということですか。


坂野 そうです。なぜ自転車に注目すべきかというと、いまの社会は、情報収集にしろ異動にしろ、人間が本来、自分の肉体で行ってきた行為をどんどん“外部化”しているでしょ。自転車に乗っていると、あまりの気持ちよさに、自分は本来なら自分ですべきことを、いままで他人や機会に委ねていたんだなあ、と気がつくからなんです。


陶山 自転車って「エンジンまでもが自分の肉体」だから楽しいんですよね。車、オートバイ、自分の順で外部化の要素が減って、自転車は自分の肉体にもっとも近い乗り物だから気持ちイイ。


坂野 自転車で走ると、まわりの景色と自分が、直接つながって移動している感じがあるでしょ。自転 車で飛ばすときは、周囲の環境にものすごく神経を集中させないと危ないから、感覚のテンションが上がって、しかも一方向ではなくて全方向に開かれてゆくからでしょうね。


陶山 だから通いなれた道でも意外な発見があるし、ちょっとした風の匂いで、春が来たこと気がついたりする。自転車こそ、人間の感性をある意味ではドラッグ的に拡張する装置なのかもしれませんね。

自転車はアナーキーだ!

坂野 僕が提案したいシティ・バイキングは、都市内をハイスピードで移動するということなんです。今のスポーティーな自転車なら、普通の人でも簡単に20km/hで巡行できる。ちょっと練習すれば30km/hで何時間でも走れるようになります。だから信号にひっかからなければ、20kmの距離を1時間で移動できてしまう。これはスゴイことですよ。都心から郊外まで行けちゃう。

陶山 つまり都市内では、車やオートバイに匹敵する性能を持っていると。

坂野 いや、都市間でも可能でしょう。高速道路を走ればね。中央道を使えば、千代田区−八王子間なんて1時間かかんないと思う。こんどやってやろうかな(笑)。

陶山 ぜひ、トライして下さい(笑)。それにしても実際に東京の道を走って思ったのは、自転車の居場所がなくて、ムチャクチャ危険だということ。車道は車と駐車車両で危険だし、歩道を走るには速度差がありすぎる。それに道路標識とか、危険な金属性の突起物がそこら中にある。

坂野 大いに誤解されてるけど、道交法によれば、自転車は基本的に車道を走らなくてはならないんですよ。

陶山 ほんとですか?

坂野 ホント。警官も知らないんだから(笑)。歩道は許可された場所だけ、徐行してなら通過していいということになってます。でも徐行なんかするのなら、歩いたほうがいいわけで。で、結果として車道を、かなりテンションを上げて飛ばすしかないわけです。そうしないと危ない。こちらが気合が入っていれば、車のドライバーも受け入れてくれるから。でも問題は日本の道路行政が自動車偏重だということですよ。

陶山 ところがその偏重されている自転車やオートバイだって満足に走れない。日本という国の権力は、個人の移動の自由を抑圧することによって、大衆を管理するという思想かと疑いたくなる。

坂野 ところが自転車は、そういう路上の間隙を縫って、ゲリラ戦のように移動の自由を確保する事が出来る。自転車は抑圧的な交通社会の外部にいる、アナーキーな乗り物なんですよ!

陶山 シティ・バイキングは交通抑圧社会に対するアナーキーな革命運動であると。

坂野 そのとおり! いま、自分自身のアイデンティティが分らなくなって悩んでいる人が多いけど、それは自分自身の力でやるべきことを他人に委ねているから、自分が誰だか分からなくなってるんですよ。

陶山 しかも金を払ってるのに、満足なサービスも受けられない状況に不感症になっている人も多い。渋滞で動かない首都高に600円も払うとか、満員電車に乗るとか。

坂野 自転車に乗るといい。

陶山 そうすれば自分は移動する自由をもった個人だということが自覚できますよ。 (まとめ、陶山さん)

二玄社「NAVI」連載第2回 1994年8月号P21
坂野さんのシティ・バイカー生活


写真=阿部ちひろさん
コミューターとしての可能性を探求する長期レポート。今回はシティ・バイキングなるコンセプトを提唱し、それを実践してはや十余年の坂野泰士さんに、自らの自転車生活を語ってもらいました。

写真=阿部ちひろさん

 みなさん、こんにちは。私は東京に住む35歳のシティ・バイカーです。東京の下町に住み、フリーランスで事業や商品のプランをつくる仕事をしています。わたしは自転車が好きで(自動車やオートバイも大好きですが)、日曜日にはいつも埋立地で仲間とロードレーサーに乗ったりしています。平日でも、会社勤めをしていた頃は、週に1、2回は片道20km程の通勤に自転車を使っていました。家で仕事をするようになった最近では、取引先との打合わせなどにも自転車で出かけたりしています。


というわけで、週に何回かは数十kmという単位で自転車に乗り、自転車を趣味+日常的な足といった感じで利用しています。そんな、“普通より少し余計に自転車を取り入れた生活”を送っているわけです。


 さて、この頁のコンセプトにしている“シティ・バイキング”という言葉は、(おおそらく)わたしが勝手に作り上げた和製英語なので、今回はいちおう定義だけでも示しておきたいと思います。まずは語義どおりに“移動手段として、街で自転車に乗ること”という意味が中心になるのですが、ここでは、さらにいくつかのニュアンスを加味したいと思います。つまり“移動手段としての自転車の能力をできるだけ発揮させること−すなわち速く走ること”、それを実現するための手段として“主に車道を走ること”そして“仕事や着るものも含めて、自転車の日常の社会生活へと取り込んだ生活のしかたを実践する”といったものです(私は最近、場合のよっては自転車用のウェアを着たまま、クライアントと打合せをしたりもします)。平たく言えば、“生活の足として自転車に乗り、街の車道を疾走する”といった感じでしょうか。


 現代日本の車道における自転車は、中国のそれとは違って圧倒的な少数派です。日本のような管理された社会にあって、少数派であろうとすると、特別な体験をいろいろすることになります。それは自転車ならではの拡張された感覚によって得られる、季節や環境との一体感を密かに楽しむことだったり、自転車の存在を全く考えていない道路作りや交通規制や、そのために生じる警官との衝突といった、日本ならでは少数派への無関心が生む居心地の悪さだったり、様々な自動車からうける故意のいやがらせなどの、あからさまな悪意だったり、誰も守ってくれないかわりの誰にも管理されていないことを知った時の解放感だったりします。


 ともかく、街で(速い)自転車に乗っていると、いろいろな事件に遭遇し、いろいろな考えが浮かんで、ムラムラとしていくるのです(ヘンな意味ではなく)。クルマや電車で見慣れた景色は、そこを自転車で通れば一変し、なにやら新しい感覚が体内に沸き起こり、忘れていた感覚が覚醒します。そうして、自分と社会との関係が際立ち、ムキ出しになって見えてきます。そんな自転車のちょっとヘンな楽しみ方と、それを楽しむ側から見た、社会に起きる有象無象の事件について、これからお話していきといと思います。どうぞよろしく。

二玄社「NAVI」連載第3回 1994年10月号P198

自転車は速いゾ!


連日の記録的な猛暑にもめげず、都市におけるコミューターとしての自転車の可能性を探る長期レポート。今回はシティ・バイカー暦十余年の坂野泰士さんによる「都内において、いかに自転車が速い乗り物であるか」についての報告です。

 シティ・バイカーの皆さん、熱い中いかがお過ごしですか? 今回はシティ・バイキングにおける自転車の驚くべき性能について話しておきたいと思います。


 わたしの住んでいる所は皇居まで約8kmの距離にある下町です。現在の仕事上のおもな取引先は皇居周辺、もう少し西側の中野周辺、そして近場の葛飾区にもあります。NAVI編集部のある神保町周辺や渋谷にもよく行きます。それぞれの地区はわが家からだいたい走行距離で8kmから15kmの距離にあります。また、会社員をしていたころは、東京を北東−南西方面に縦断する片道21kmの距離を通勤で走っていました。


 いずれの場合にせよ、わたしにとって自転車は、もっとも所要時間が短くくてすむ交通手段なのです。その所要時間も、自転車ならばほぼ確実に読めます。平地での最高速度がたかだか40km/h程度の自転車であっても、都市のおいては最も効率のいいコミューターなのです。


 なぜか。都心の渋滞のなかでは、クルマでも15kmの距離を走るのに1時間かかったりしますよね。ところが自転車なら、道路条件にもよりますが、おおむね平均時速20km〜25km/hで、走れるのです。たとえば江東区にあるわたしの家から皇居まで自転車で行って25分、渋谷まで行っても45分です。ところが地下鉄と徒歩で皇居まで行くと約45分かかり、渋谷までなら55分かかってしまう。クルマで行けば、渋滞の激しい平日の朝など、移動に要する時間帯は地下鉄のさらに2、3割増しになってしまいます。地図にもあるように、今のわたしの日常生活で要求される移動のほとんどは、自転車であれば30分から45分程度の走行で到達できるし、さらに趣味的なメリット(爽快さを感じたり、フィットネス・レベルを保てる)まである。だからこそ自転車を愛用してしまうのです。


 自転車で走っていると、平日の東京都心における自動車は、もはや移動手段としての能力を失った不思議な存在のように思えてきます。わたしが走り抜けるすぐ横で、道路を埋め尽くし、エンジンからの強烈な排熱とむせかえるような排気ガスを出している様子は“ビィークル”というより、“エゴイストの小部屋”の行列といったおもむきで、はたから見ていると「何か違うよな〜」という感じは、私が立場を変えて自動車(シトロエンAX)を運転していてもやはり感じるので、ますます平日に自動車を乗る機会が減ってしまいます。


 では、わたしが皆さんにシティ・バイキングを積極的におすすめするかといえば、じつはそうでもないのです。というのも、シティ・バイキングは事故の心配以外にも、現状ではあまりにリスクの多い行為だからです。そのリスキーな生活の実態については次回以降にお話ししたいと思います。恐ろしいと思うのは、20世紀を通じて拡大されてきたはずの「個人が自分の意思で移動する自由」が最近、とくに都市という人口密集地で脅かされつつある、ということなのです。

二玄社「NAVI」連載第4回 1994年12月号P210

シティ・バイカーの正しい服装


写真=阿部ちひろさん

シティ・バイキングに最適の秋がやってきた。けれどビジネスマンズ・エクスプレスとしてのシティ・バイキングの敵はやっぱり汗。今回はその対処法について、自転車に乗るコンセプター、坂野泰士さんが語る。

まわりを不快にさせない工夫がたいせつ

 自転車である程度気合いを入れて走れば、当然、季節を問わず汗をかきます。しかし、私の場合は主な目的地は仕事上の取り引き先であり、行った先では会議や打ち合わせに出席することが求められます。夏でしたら、ある程度汗をかいているのは仕方ないにしても、まわりを不快にするようなことはしたくありません。そこで、いくつかの工夫をしています。


 まず、下着、ポリエステル素材のメッシュのTシャツを着ます。これは通気性が良く、さらに汗をすばやく吸い出し皮膚の温度を下げてくれ、極めて効果的です。これを着用せずに走ると、汗で上に着たシャツはグショグショになってしまいます。次にパンツは、おしりにパッドの付いたレーサーパンツを履きます。こちらは速く快適に走るためには欠かせません。ただ、これだけで歩いていると皆さんの下半身への視線が痛いので、その上にペダリングを邪魔しない、コットンとライクラの混紡素材でできた、ストレッチする膝丈までのゆったりしたパンツを履きます。ちょっとスケーターっぽい感じですが、これでかなりタウンウェアらしくなります。


 あとは自転車用の指切りグローブ、透明レンズのアイシールド、ヘルメットを着けます(これはどれも安全上不可欠なものです)。  

ミネラル・ウォーターは必需品

 靴はMTB用のペダルが固定できる金具が靴底についた、一見普通のスニーカー風のハイカットのものを履きます。あと、忘れてはいけないものにミネラル・ウォーターを入れたボトルがあります。大量の発汗を補うために水分補給は不可欠です。夏は500cc強を大体30分の走行の間に飲み干してしまいます。


 自転車を駐め、盗まれないようにロックすると、次は身支度です。あまり人目につなかない場所を選び(といっても所詮は街頭ですが)ヘルメットを外し、タオル(必需品です)で汗をふき、クシで髪形を整えます。汗臭いかな、と思う時はシーブリーズのおりぼりのようなもので首筋と顔を拭くこともあります。それが終わると、カバンの中から長袖のコットンのシャツジャケットを取り出し、さっきまでのカッコの上に羽織ります。ボタンを一番上までキッチリと止めてでき上がりです。


 これでテーブルについているときは、とりあえず自転車を感じさせない服装になり、クーラーで体が冷えるのも防ぐことができます。工夫のポイントは、自転車用の機能を基本としながらも、汗をできるだけ目につなないようにすることと、肌の露出を減らすことと言えそうです。では、また次回。

写真=阿部ちひろさん

二玄社「NAVI」連載第5回 1995年3月号P191
自転車に愛の心を!


写真=関根健司さん
車道を行ったきび団子売り

 今回はシティ・バイキングをする上での重要なポイント、“自転車で車道を走る”ということについて、述べてみたいと思います。

 自転車とは法規制上では、軽車両に分類される乗り物です。軽車両の仲間には、人間が引くリアカーや屋台、馬や牛車などがあります。そして、道路交通法によると、軽車両を含む全ての車両は車道を通行することになっています。しかし、現在の街中で自転車以外の軽車両が車道を走る姿を見掛けることはさほど多くありません。


 私が子供のころは、都心でも騎馬警官(馬に乗った警官)が交差点で交通整理をしていたり、自転車でリアカーを引くおじさんの姿があったりと、今よりたくさんの軽車両を見掛けたものです。


 そんな軽車両のひとつに、以前、我が家の近所に時々やってきたきび団子売りのお爺さんの屋台がありました。木でできた屋台には、せいろ状になった引き出しがたくさんついていて、“きびだんご”と墨で書かれた行灯(あんどん)が目印です。お団子を買いに行くと、お爺さんは湯気のあがる引き出しをあけて、竹串にささったお団子を紙袋に入れてくれます。茶色っぽく、小さく、少しぼそぼそした舌触りと品のいい甘さのそのお団子は、桃太郎が食べたのもきっとこんな味わいだったのでは、と思わせるほど昔ながらの風情を感じさせるものでした。


 そのお爺さんと屋台を最後に見たのは、7年ほど前の夜、隅田川にかかる永代橋のたもとでした。橋の手前の登り坂になったところを、お爺さんが行灯のともった屋台を引いていたのです。極めてゆっくりと、おそらく5km/hにも満たない速度だったよういに思います。屋台が車線の減少する橋の手前にさしかかると、後ろに連なる自動車は時にはクラクションを鳴らしたりして、お爺さんの屋台にいらだちを表していました。進路を妨害され、イライラしたのでしょう。でも、お爺さんは何も聞こえないかのように、ただ、黙々と屋台を引いて行きました。

シティ・バイキングを確立させるには?

 その時、自動車のドライバーの多くは、お爺さんの屋台を自分の進路を妨害する単なる“邪魔もの”と感じていたようです。しかしよく考えてみると、法規上は、屋台にも自動車と同様に車道を利用する権利があるのです。屋台やリアカーから自転車まで、どんな軽車両にも、自動車のために車道上から排除される理由はありません。確かに現在、自動車は圧倒的な多数派であり強者です。だからといって“車道上での平等”という原則を忘れてもいいということにはならないのではないでしょうか。


 私はつね日頃、自転車で車道を走っていて、このきび団子売りのお爺さんと同じ立場に立たされることがあります。シティ・バイキングにおいては、自転車本来のヴィークルとしての能力を活かし、より長い距離の移動手段とするためにも、法的に歩行者のためのものと規定されている道=歩道に依存することはできません。専用道や専用レーンが整備されていない現状においては、他の軽車両と同様に車道を利用する以外に道はないのです。


 シティ・バイキングでのリスクの多くも、屋台同様、自動車との関係において生じます。自転車の存在に無意識な運転、意図的な排除、それらは自動車のドライバーが車道上での自転車の存在を認めていない意識に起因しているのではないでしょうか。


 今後、みなさんが自動車の運転中に路上で軽車両と遭遇したら、先を急ぐ気持ちを少し飲み込んで、自動車と同様に他の車両として存在を認める、路上での“友愛精神”を思い出してみてはいかがでしょうか。

二玄社「NAVI」連載第6回 1995年3月号P191
首都高速でバイキング!


写真=関根健司さん

都市内じゃ自転車ほど便利な乗り物はない!という主張のもとに展開する、もう一つの長期リポート。今月はなんと首都高速でバイキングをして、自転車をめぐる環境の悪さを痛感したというハナシを。


 以前からわたしには、「自動車専用道路は自転車にとっても快適である、自転車にも同様の環境を実現したい」と考えてきました。


 自動車専用道路とは「信号や交差点がなく」「急勾配や急カーブがなく」「路面がきれいで(平滑性が高く)」「歩行者や障害物がない」道路です。そこを走る車両をスムーズに迅速に通過させることに機能を特化させています。


 自動車以上に急な方向転換や発信・停止の繰り返し、またのぼり坂が苦手な自転車にとって、走る環境としては理想的な条件を備えています。しかしあいにく、わが国において、こうした道路は夢物語で、わたしのそうした考えを他人に話しても、感覚的にわかってもらうのは、なかなか難しいことでした。


 ところが、1994年12月11日、都市内の自動車専用道路である首都高速道路を自転車乗りに解放するイベントが開催されました。もちろん、わたしはよろこび勇んで参加しました。


 イベントの名前は「ツール・ド・メックスウェイ」。メックスウェイとは、首都高速の愛称だそうです。コースとなったのは、首都高速の東京−横浜間をむすぶ通称<横羽線>に平行して、羽田空港から横浜ベイブリッジ手前の大黒埠頭まで湾岸線を延長した新規開通区間の大部分です。ちなみにこの路線の開通で、東京−横浜間の渋滞の解消/緩和が期待されているわけです。


 内容は、必死で走りたい人のためのロードレース、のんびり走りたい人のためのサイクリングの両方からなり、じつに5000人以上が参加したそうです。


 このイベントが画期的であるのは、やはり自転車に自動車専用道路が解放されたことでしょう。日本では、レースを含めて自転車関連のイベントのために、地域振興を目的として地方でごくたまに行われる場合をのぞいて、一般道でさえ自転車に解放されることはないからです。自転車が社会的な認知を得ている欧米では、ロードレースはその名のとおり、一般道や高速道で行われています。しかし、日本では、クローズド・サーキットをぐるぐる回るものがほとんどなのです。


 わたしはロードレース、サイクリングの両方に参加しました。すると、競技者の集まりとなるロードレースはともかく、サイクリングの参加者は実に多様で、世の中のほとんどのバイキング・スタイルを見ることが出来ました。



 ママチャリの主婦グループ、子連れのMTBパパや正統派サイクリングおじさん、スポーツ大好きおにいちゃん・おねえちゃんといった人たち、珍しいところでは、2人で力をあわせてこぐタンダム車の姿も見ることができました。タンデム車は普段一律に自転車の2人乗りを禁止している法律のせいで、ほとんどの地域で一般の路上かを走ることで出来ず、じつに肩身の狭い思いをしている自転車なのですが、当日は普段のウサを晴らすかのように、軽快な走りを見せていました。


 というわけで、(残念にも)一度かぎりのイベントながら、自動車におびえることもなく、排ガスの匂いをかぐこともない、阻害要因の少ない路上でのバイキングは、実に効率的で快適なものだということを、5000人のバイカーとともに実感した一日でした。

二玄社「NAVI」連載第7回 1995年5月号P201
道路設計者の皆さん、ちょっと待ってください−その1


写真=田中哲男さん

今月はヴィークルとしての自転車の可能性を追求する坂野さんのリポート。自動車乗りのかた、最近、街で走りづらいと感じたことは、ありませんか?


 寒い寒いと思っているうちに、陽差しはすっかり春です。シティ・バイキングをしていても気持ちの良い日に巡り会える今日この頃です。


 さて、この季節、実に多く目につくのが道路工事の現場です。年度末を迎え予算(我々の納付した税金の)消化に忙しいのでしょうが、その工事現場の多くでシティ・バイカーにとって気になる傾向が見受けられるのです。


 わたしが頻繁に利用するルートに中央区を走る鍛冶橋通りという道があります。ここでは、現在(3月はじめ)歩道の拡張工事が行われています。歩道を広く美しくして、歩きやすくし、街の美観を整えようという工事だと思われます。しかし、この工事がシティ・バイカーにとっては、まことに具合の悪い道を作り出すことになりそうなのです。


 鍛冶橋通りは片側2車線の道路で、これまでは、歩道側に路側帯状の部分(車道の外側線と歩道縁石の間)が設けてありました。今回の道路改修で鍛冶橋通りの一部で(おそらく今後の工事でかなりの範囲が)路側帯状の部分が消滅、あるいは、大幅に縮小されることが予想されます。鍛冶橋通りに限らず、道路改修やパーキングゾーンの設置により、路側帯が消滅したり縮小するケースが最近増えているのです。


 シティ・バイキングでは、道路交通法で規定されているとおり、主に車道を走ることになります。その時、路側帯状の部分は自動車の車線を妨害せずに走れる、実質的な自転車レーンとして利用できる空間なのです。自動車でも歩行者でもない曖昧な立場にある自転車にとって、これといった役割が明確に規定されない曖昧な領域は、貴重な生存領域なのです。


 道路設計者はどうやら、自転車が車道上を走ることは全くといっていいほど考えていないようです。さらに、悪いことに、警察も自転車の歩道走行を前提として、様々な規制をしようとしているようです。事実、鍛冶橋通りと交差している日比谷通りには、自転車の車道走行を禁止する標識があります。歩道には[自転車歩道通行可]の標識があるので「自転車は歩道を走れ」と考えているようです。


 しかし、実際には昼間の日比谷通りの歩道は人通りが多く、とても自転車が走れるような状態ではありません。当然ながら、わたしはいつも車道を走っているのですが何も問題は起きず、交番の前でも、白バイにさえ注意されたことがありません。おそらく、[自転車車道通行禁止]の標識の存在は、地域の警官でさえ知らないのではないでしょうか。そんな、誰もが無関心で有効性の薄い標識であっても、その決定をしている人の存在とその意識は脅威です。


 車道上での自転車の生存領域は確実に狭められています。歩道へと追い立てられ、中距離移動を担う能力を失いつつあるようです。そんな流れに逆らってのシティバイキングは、なんともアナーキーで反体制的な行為となってしまいます。


 おそらく、これから自転車をより積極的に利用し、より長い距離の移動をしようとする人は増えると思われます。しかし、そんな世の中の流れとは別に、自転車がこれまで生きてきた車道と歩道の間の曖昧な領域や法規制が、失われたり、明らかな規制へと変わろうとしています。そして、その背後には、道路設計者・行政プランナー・警察などの自転車に対する<無知>と<無関心>が存在しているのです。

二玄社「NAVI」連載第8回 1995年6月号P200
道路設計者の皆さん、ちょっと待ってください−その2

写真=阿部ちひろさん

シティ・バイカー坂野さんによる「自転車も共存できる道路」を考えるリポートの第2弾。いまや自転車乗りは、無関心な道路設計者によって危険にさらされている!


 今月も「自転車の安全で効率的な交通が難しくなっている」という現状について考えてみたいと思います。


 とくに取り上げたいのは、橋の問題です。大きな川にかかる橋は多くの場合、クルマにとっての交通のボトルネックになっています。ところがクルマのみならず自転車にとっても、大きな橋を渡るというのはやっかいな問題なのです。


 距離が長く、不きっさらしになる大きな橋では、歩いて渡るより自転車で渡るほうがラクです。したがって歩いて渡るひとは少なく、自転車がクルマに次いで多数派として通行する場所なのです。


 わが家の近所に、新大橋通りが荒川と中川を越すためにかけられた「船堀橋」という橋があります。この橋は車道わきの路側帯状の部分が広く取られていて、この界隈でも最もスムーズに通行できる橋でした。しかし、数年前の改修工事を境に、とても自転車向きとはいえないような橋になってしまったのです。


 工事後のある日、いつものように自転車に乗って、車道を走りながら江東区から対岸の江戸川区に向かって橋を渡ってゆくと、突然、「この先自転車の路肩走行は出来ません 警視庁 東京都」と書かれたカンバンが現れ、歩道へと上がるように促しているではありませんか。ところが写真でお分りの通り、歩道へ上がるスロープというのは、高さが20cm角度が50度はあろうかというシロモノなのです。自転車に乗ったままでは、とても上がることは出来ません。


 そのうえ、難儀して歩道に上がるとすぐに、今度は急角度の下りの階段が待ち受けています。端に自転車用のスロープこそついていますが、自転車を押して(実際には重力に逆らって支えながら)下りることになり、実にあぶなっかしい状態となってしまいます。そうやってウンザリしながら長い階段を下りると、今度はまたもや同様の階段をもう一度登り、さらに下りなければならないのです!


 この一連の行程は、体力のある若いひとでも絶対に途中でイヤになるでしょうし、中年以降のふつうのひとには明らかに無理ではないかと思われるほどです。


 だからといってカンバンの指示に従わずに、橋の上を直進すると、路側帯状の部分は途中から、歩道の拡幅によってきれいさっぱり無くなってしまうのです。


 このような道路設計の結果、当然ながら自動車にあおられる危険を冒しながらも車道を走ってゆくひとが後を絶ちません(カンバンは通行禁止の標識ではないので、危険ではあっても違法ではないと思いますが)。また、果敢にも歩道わきのスロープを自転車に乗ったまま下りてゆくひとも多数見られます。


 じっさい、この写真を撮影しているときも、橋の上を自転車で通ったほとんど全員が、カンバンに従わずに直進していきました。カンバンの直後には自動車専用の下り出口があるため、自転車で車道を走るひとは、そこに来るクルマに巻き込まれないように注意して車道を走っていきます。もちろん非常に危険な行為なのですが、わたしたちが撮影していた時、多数の年輩のかたがそこを通過していったのがとても心配に思えました。


 橋に翻弄(ほんろう)されるかのように、自転車や歩行者は何度も何度も階段や段差を登ったり降りたりしたりしなければならない。その横を、エンジンつきの乗り物だけがスムーズに走り抜けてゆく。この船堀橋のような構造の橋は、全国に数多くあると思われます。わたしにはどう考えても、この橋の設計者や管理している省庁の関係者は、ほんらいは弱者である歩行者や自転車のことを“現実的に”考えていないため、かえって危険な状況を生み出しているとしか思えないのです。皆さんはどうお考えでしょうか。

二玄社「NAVI」連載第9回 1995年8月号P206
バイク・メッセンジャーを知っていますか?


シティ・バイカーの坂野さんによるリポート。今月は自転車を使った新しいストリート・カルチャー、バイク・メッセンジャーの世界を取材しました。

 仕事上で緊急を要する書類などを、比較的近い場所に届けたい時、みなさんはどうしていますか? オートバイを使ったバイク便はよく知られていますが、自転車を足にして、よりローコストかつ早く届けることを“売り”にしている、バイク・メッセンジャーというサービスもあるのです。まだまだマイナーですが、都心のオフィス街では、ここ数年でずいぶんと目につくようになってきました。


 このサービスが定着している欧米の大都市では、メッセンジャーは街の景色の一部としても、またストリート・カルチャーとしてもすっかり市民権を得ています。ニューヨークで見たメッセンジャーは、ロードレーサーに乗って、穴ボコだらけの大通をものすごいスピードで豪快にクルマをかき分けながら走っていて、感動的にかっこよかったほどです。では日本のメッセンジャーはどうなのか。実態を探ってみることにしました。


 今回取材したのは「ティーサーブ」という会社で、都内のバイク・メッセンジャー会社としては最大規模とのこと。やはりニューヨークのメッセンジャーたちのカッコよさに刺激された代表の池谷貴行さん(いまだ現役のメッセンジャーでもある)が、7年ほど前から仕事として始め、企業化してからは4年という若い会社でした。


 池谷さんによれば、片道6km程度までが、自転車がもっとも効率的で速い移動手段になる距離だそうで、実際にそのくらいの距離の仕事の依頼が多いそうです。ここで働くメッセンジャーのひとたちは、無線で連絡を受けて、次から次へと1日20件前後の配達をこなすそうなので、ひとつの配達の距離は短くても、1日の走行距離は60kmから80kmにもなるそうです。ところがさらに強者がいて、自宅と事務所の通勤にも自転車を利用し、1日に100kmを越えるひともいるから驚きます。


 働いているひとたちは全員20代で、専業、学生アルバイトなど身分はさまざまですが、事前に思っていたよりもずっと個性的でお洒落なひとたちでした。レーサーパンツを履き、レーシングジャージに身を包み、ニューヨークでおじさんが手作りで作っているというメッセンジャー・バッグをたすき掛けした姿はなかなか素敵です。自転車はマウンテンバイクが中心ですが、どれもかなり高価なモデルを使っていて、自転車に対するこだわりもうかがえます。休みの日にはマウンテンバイクのレースや耐久ロードレースに出るひともいて、かなり自転車中心のライフスタイルを送っているひとたちも多くいます。


 この会社では、毎年開催されているメッセンジャー・レースの世界大会に、今年は日本から初参加を予定しているそうです。アメリカやヨーロッパにも負けない、日本での本格的なシティバイキング・カルチャーの登場も近いようです。



二玄社「NAVI」連載第10回(最終回) 1995年9月号P200
シティ・バイキングの時代が近づきつつある!


写真=阿部ちひろさん

シティバイカーの坂野さんによるリポートの最終回。最近、あらたにMTBも買った坂野さんは、あらためてシティバイキングの興隆ぶりに驚かされたのでした。


 断続的ではありましたが、かれこれ1年あまりも続けてきたこのレポートも、とりあえず終わることになりました。この間、シティ・バイキング=「都市で自転車の能力を発揮させ、より長い距離を移動するための交通手段として活用する生活習慣」に対する風向きが、以前と少し変わってきたような気がします。


 内外の自転車専門誌やアウトドア誌でも「都市生活と自転車」といったテーマ(時に反自動車文化的な色彩のものもありましたが)の特集が多く見られるようになりましたし、一般誌でもその傾向は同様です。また、社会あるいは一般のひとたちの自転車に対する注目度も増しています。


 例えば最近、わたしはマウンテンバイクを衝動買いしたのですが、これで街を走っていると、実に多くのリアクションがあるのです。単なる注視から、目が合うとニコッと笑いかけられたり、外人さんに「ヘイ!ナイスバイク」と声をかけられたり、信号まちの時に歩道を歩くひとに自転車のインプレッションを求められたり、はたまた路上で遭遇した外人さんのシティ・バイカーとえんえんと話ながら走ったりと、実ににぎやかです。


 わたしはそれまでシティ・バイキングにロードレーサーを使用していたのですが、ロードレーサーの場合は、外人さんに時々ニコッと笑いかけられるくらいで(外人さんは自転車好きなひとが多いようです)、ほとんどのひとたちは、視界に私の姿が入っても、そこに何も存在していないかのように、視線を後ろへと飛ばしてしまいます。それは、とても寂しいものです。


 じつを言うと、わたしはマウンテンバイクのブームに対しては、ちょうど自動車の4駆ブームに感じるような懐疑的な気持ちも少しあったのですが、マウンテンバイクは確実に、自転車に対する一般のひとの興味と社会的な理解を拡大したようです。


 自転車の持てる能力(すなわち可能性)を発揮させることを目指すと、そこに自ずと必要になるのはスポーツ性です。シティ・バイキングがより一般的なものとなるためには、社会とスポーツバイクの垣根を取り払い、多くのひとをその世界に誘う必要があります。


 機能的には、シティバイクとしてはマウンテンバイクはオーバースペックなのは事実です。でもカジュアルなファッションと気持ちにマッチするマウンテンバイクは時代の気分をよく反映しています。肩に力の入った「趣味」ではなく、「生活」に根差した利用こそがシティ・バイキングの目指しているものです。そんな新しい生活スタイルを根づかせるには、キメて乗らなければならないロードレーサーよりもマウンテンバイクが適任のようです。


 また、シティ・バイカーの絶対数も増えているように感じます。特に目につくのが外国人のシティ・バイカーです。東京での居住人口から考えると、その比率は驚異的です。そして、彼らの多くは形にこだわらずに、実にカジュアルにマウンテンバイクを乗りこなしています。他人の動向や周囲の環境に左右されずに、個人の考えや感じた気分を素直に表現することに長けている彼らは、変わりつつある個人の意識や社会の流れを、いち早く示しているのかも知れません。


 これからもわたしなりにシティ・バイキングを追求していくつもりです。また機会があればさまざまな問題提起をしていきたいと思っています。最後にNAVIの読者の皆さん「路上でシティ・バイカーに出会って、もし邪魔になっても、路上では自転車も平等の存在であることを思い出して、愛情をもって接してやって下さい!」とあらためてお願いして、このリポートを終わりたいと思います。